西郷隆盛の犬の真相|名前や犬種と上野像の謎を妻の証言から解く

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西郷隆盛の犬の真相|名前や犬種と上野像の謎を妻の証言から解く
西郷隆盛の犬の真相|名前や犬種と上野像の謎を妻の証言から解く
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🎵 西郷隆盛の犬の真相|名前や犬種と上野像の謎を妻の証言から解く

東京・上野恩賜公園の象徴として親しまれる西郷隆盛像。堂々たる体躯の足元には、凛とした立ち姿の犬が寄り添っています。多くの人が一度は目にしたことのあるこの光景ですが、「なぜ西郷隆盛は犬を連れているのか」「あの犬の名前や犬種は何なのか」という背景まで正確に把握している人は多くありません。

実は、連れ添う犬の正体や銅像建立の舞台裏には、明治という激動期を生きた西郷の知られざる肉体面・精神面の葛藤、そして除幕式で妻・糸子が思わず漏らした決定的な一言など、教科書には載らない濃密な人間ドラマが刻まれています。歴史の一次資料と記録から、西郷隆盛と愛犬たちの真実を解き明かします。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:上野像の犬の名前は「ツン」とされるが、実際の制作ではモデルのすり替えが起き、メス名義でありながらオス犬の姿で作られた。
  • 要点2:犬を連れている主因は単なる趣味ではなく、ドイツ人医師から命じられた過酷な肥満治療(ウサギ狩り)と政治的ストレスの緩和であった。
  • 要点3:除幕式で妻の西郷糸子が放った「こげなお人じゃなかった」という言葉の裏には、肖像の真偽だけでなく「普段着で犬を連れた姿」への戸惑いがあった。

【犬種と名前の謎】上野公園の銅像に佇む愛犬「ツン」の正体とモデル真相

上野公園の西郷隆盛像の傍らにいる犬の名前は、一般に「ツン」として広く知られています。ツンは薩摩(現在の鹿児島県)固有の狩猟犬である薩摩犬で、ピンと立った三角の耳と、ピンと伸びた「差し尾」が際立つ精悍な牝犬(メス)でした。

西郷はツンを非常に気に入っており、薩摩領内の前田新右衛門という人物から幾度も頼み込んで譲り受けたという記録が残っています。しかし、ここに彫刻史上の奇妙なねじれが存在します。上野恩賜公園に鎮座するツン像には、明らかなオスの生殖器が造形されているのです。

なぜメスのツンがオスとして彫られたのか。その真相は、明治31年(1898年)の像建立時にありました。彫刻を担当した動物彫刻の大家・後藤貞行が制作に着手した段階で、本物のツンはすでに他界していました。困惑した後藤は、薩摩犬の特徴を再現するため、海軍大佐・前田政男が飼育していた別の薩摩犬「シロ」など、複数のたくましい雄犬をモデルとして採用したのです。結果として「名前はメスのツン、肉体構造はオスのシロ」という美術史的にも類を見ないハイブリッドな銅像が誕生しました。

当時のメディア報道・掲載写真
【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:lookaside.instagram.com)

なぜ西郷隆盛は犬を連れているのか?医師の命令と過酷な減量治療

軍服を着た勇ましい姿ではなく、浴衣姿で愛犬を引き連れている構図には、西郷の切実な健康問題が直結していました。西郷が日常的に犬を連れて野山を駆け巡っていた最大の理由は、肥満解消のための「ウサギ狩り」にあります。

明治維新後、政府の要職に就いた西郷は、美食や運動不足、さらには南洲翁特有の体質も重なり、身長約178センチに対して体重は110キロを超えていたと伝わります。過度の肥満は心臓や血管に極度の負担をかけ、狭心症の発作に倒れる寸前でした。

危機感を抱いた明治天皇は、ドイツ人侍医のテオドール・ホフマンを西郷のもとへ派遣します。ホフマンが下した処方は、下剤の服用と徹底した食事制限、そして「過酷な有酸素運動」でした。そこで西郷が選んだ運動が、愛犬たちを引き連れて険しい山野を走るウサギ狩りと愛犬の組み合わせでした。山中を獲物を追って何里も歩き回る狩猟は、近代医学に基づく減量療法の実践そのものだったのです。

【データで見る愛犬家実態】西郷隆盛の犬は何匹いたか?主要犬と溺愛記録

西郷が生涯で飼育した犬の規模は、個人のペット飼育の域をはるかに超えていました。記録に残るだけでも常時十数頭、生涯で通算数十頭を数え、東京の屋敷や鹿児島の居宅には常に多くの猟犬が群れていました。西郷の愛犬家ぶりと飼養データを以下の比較表にまとめます。

項目詳細・歴史的記録当時の武士・維新貴族の基準編集部の見解・分析
飼育頭数常時12〜16頭前後、通算30頭近く番犬として1〜2頭程度が一般的群れを管理する規模であり、生活の中心に犬がいた裏付け
主な愛犬の名前ツン、シロ、クマ、クロ、カヤ、トワ、サメ名付けすらされない使役犬も多かった時代全頭に固有の名を付け、個別の性格や癖を把握していた
食事待遇自身より先に白米や鰻丼、肉類を与える人間の残飯(麦飯や味噌汁の残り)人間と同等、あるいはそれ以上の愛情を注ぐ特異な溺愛ぶり
健康・衛生管理犬専用の蚊帳を用意、病気には専門医を手配野外に繋ぎ放し、病気になれば放置現代の「コンパニオンアニマル」観を先取りしていた証拠

当時の目撃談によれば、西郷は外出先から帰宅すると家族よりも先に犬たちの部屋へ向かい、一頭ずつ声をかけて体を撫でていたといいます。料亭から持ち帰った高価な牛肉を自分では口にせず、すべて犬たちに平らげさせたという逸話も、当時の門弟たちの手記に克明に記されています。

活動歴および当時の関連ビジュアル記録
【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:storage.bushoojapan.com)

「うちの人はこんな人ではない」妻・西郷糸子の証言が突きつける衝撃

明治31年(1898年)12月18日、上野恩賜公園で行われた西郷隆盛像の除幕式。幕が落とされた瞬間、西郷の三人目の正妻である西郷糸子(イト)が口にしたとされる発言は、後世に大きな波紋を広げました。

「宿んし(うちの人)は、こげんなお人じゃあたせんでした(こんな人ではありませんでした)」

この証言は長年、「西郷の顔が似ていなかったことへの落胆」として解釈されてきました。西郷は生前、暗殺を警戒して写真を一切残さなかったため、彫刻家の高村光雲はキヨッソーネが描いた肖像画や親族の顔立ちを合成して顔を造形した経緯があります。

しかし、近年の歴史研究や証言記録の再検証において、糸子の違和感は顔の造作だけに留まらないことが指摘されています。それは、「国家の英雄として顕彰される公の場に、浴衣の散歩着で、犬を連れた私的な姿で晒されたこと」への驚きと困惑でした。糸子にとって、愛犬を連れて野山を歩く西郷は、重責と政争を離れて家族や自然に身を委ねていた極めてプライベートな姿であり、国家の象徴として仰ぎ見る姿とは相容れないものだったのです。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|薩摩犬の血統と現在

ネット上の情報や歴史談義において、「上野の犬は柴犬や秋田犬ではないか」「ツンはただの雑種だった」という俗説が散見されますが、これらは明白な誤解です。

ツンをはじめ西郷が愛した犬たちは、純粋な薩摩犬でした。薩摩犬はイノシシやウサギなどを狩るために薩摩藩で改良された日本犬の一種で、俊敏性と並外れた勇敢さを誇ります。険しい山岳地帯を俊敏に駆けるため、足腰が引き締まり、尾は力強く立っているのが特徴です。

昭和以降の洋犬ブームや戦争の影響で一時は絶滅の危機に瀕しましたが、鹿児島県内の有志らによる保存活動によって血統が守られてきました。忠誠心が極めて高く、見知らぬ他者には容易に心を許さない厳格な気質は、まさに薩摩武士の気骨をそのまま写し取ったような犬種でした。

【プロの結論】権力闘争から愛犬へ向けた「心理的バウンダリー」と人間・西郷隆盛の教訓

なぜ西郷隆盛は、これほどまでに犬に執着したのか。心理学および組織社会学の視点から分析すると、そこには「心理的バウンダリー(境界線)」の確立と、極度のストレスに対する無意識の防衛機制が働いていたと考えられます。

倒幕から明治新政府の樹立に至る過程で、西郷は無数の権力闘争、裏切り、そしてかつての同志を切り捨てねばならない冷徹な決断に晒され続けました。「言葉」で策謀を巡らせる人間不信の極限状態において、打算や打算のない純粋な愛情を返してくれる犬の存在は、西郷の精神的平衡を保つ唯一のシェルターだったのです。

言葉を持たない犬たちは、西郷を「陸軍大将」としても「維新の元勲」としても見ません。ただ一人の人間として絶対的な信頼を寄せてきます。愛犬たちと野山を駆けるウサギ狩りの時間は、過酷な現実社会から自らの魂を守り抜くために不可欠な自己治癒のプロセスでした。複雑な人間関係や組織の重圧に晒される現代人にとっても、損得勘定のない絶対的関係を持つことの尊さを、西郷の愛犬遍歴は物語っています。

公の場での発言・インタビュー報道記録
【検証資料 3】公の場での発言・インタビュー報道記録(出典:stat.ameba.jp)

【西郷 隆盛 犬】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:上野の銅像の犬の名前は本当に「ツン」ですか?
A1:名前の設定は「ツン」ですが、制作当時のツンはすでに亡くなっており、別の雄の薩摩犬(シロなど)をモデルに制作されたため、外見的特徴はオス犬となっています。

Q2:西郷隆盛はなぜ軍服ではなく浴衣で犬を連れているのですか?
A2:西郷が明治政府の軍人としてではなく、野に下った親しみやすい庶民派の英雄として描かれたためです。また、肥満治療として熱心に行っていたウサギ狩りの日常風景を表現した構図でもあります。

Q3:西郷隆盛の犬は何頭くらいいたのですか?
A3:記録上、常に十数頭を飼養しており、生涯で愛育した数は30頭近くにのぼります。狩猟用としてだけでなく、屋敷内で蚊帳に入れて寝かせるなど家族同然に溺愛していました。

まとめ:上野の像が語り続ける西郷隆盛の人間味

上野公園の西郷隆盛像が放つ独特の温かみは、足元に佇む愛犬の存在なくしては成立しません。その背景には、医師の指示による過酷な減量とウサギ狩りの歴史、制作過程で起きたモデル犬の入れ替わり、そして激動の時代に精神の安らぎを愛犬に求めた一人の人間の真実がありました。

「うちの人はこんな人ではなかった」という妻・糸子の言葉は、西郷が権力者としてではなく、愛犬たちと泥にまみれて野山を駆けていた無邪気な素顔を知る者だからこその実直な吐露でした。上野を訪れた際は、ぜひその足元に寄り添う犬の精悍な姿に目を向け、維新の英傑が抱えていた深い人間味に思いを馳せてみてください。 (出典: 西郷 隆盛 犬(Yahoo!ニュース)

西郷 隆盛 犬
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